ボードレールのアフォリズム

「女がわれわれと異る度合に比例して、われわれは女たちを愛する。頭の良い女たちを愛することは男色者の快楽だ。同様にして、獣姦は男色を排除する。」(阿部良雄訳)

 ボードレールによるアフォリズム集『火箭』の一節である。いかにもはっとさせられる記述がいくつもある。『火箭』という題名はポオの『マルジナリヤ』──このブログ名もここから拝借したが──における記述に因んで題されたそうだ。火箭とは火矢のことである。

ボードレール全集5』は、買うにはいささか価格が高騰しているので、図書館から何度も借りていたのだが、それも何だか馬鹿らしくなっていたころ同作品が収録された文庫本である『ボードレール批評4』(ちくま学芸文庫)を買ったのが届いた。これも4000円くらいしたので結構高かった。

 ボードレールは『悪の華』が有名で、これも背景知識も併せればおもしろいのだが、自分がはじめてボードレールに魅了されたのは散文だった。『巴里の憂鬱』は、若い頃に執筆された『悪の華』のようなロマン的なところが見られないゆえに、ボードレールの「モデルニテ」と称されるような思想が高度な形であらわされていると聞く。

 このアフォリズム集については創作覚書のようで断片的すぎてよくわからないものがある。それがかえって思索を促したりもする。

 たとえば「売春」という言葉が多用されているのは、読んで一目瞭然である。芸術とは売春である。恋愛とは売春である。宗教とは最高の売春である。等々。無論一種の詩的表現であろう。自己を放棄し、より高尚なものに身を捧げること、といったところだろうか。

 猫の美しさを称えた文章は、英国世紀末において象徴的雑誌であるビアズリーの頽廃的な絵が表紙を飾る『イエロー・ブック』に掲載された『犬と猫と凡人について』というエッセイを彷彿とさせる。犬を野蛮な下僕として軽蔑したり猫のダンディらしい繊細さと貴族性、個人主義を礼賛したりしたものである。道徳的な作家に凡人といったような軽蔑的なニュアンスを込めて「犬的作家」と呼んだりもする。

 また海の幽玄とでも言うべき美しさを称える文章は、海の詩人といわれるスウィンバーンを連想させる。この『ボードレール批評4』には書簡も収められていたのだが、ボードレールによるスウィンバーン宛の書簡がある。こうしたところから関連性が見いだされる。

 花火だとか放火者だとかを人間が生れながらに拝火教徒であることで説明しているのもおもしろい。ほか、女はダンディの逆である、という有名な一節を筆頭に女の話だとかダンディズムの話だとか、宗教だとか恋愛だとかの話というように、縦横無尽かつ一節で電光石火のごとく本質を抉るような文章は様々な想像をかき立てる。