ボードレール覚書

 自分はボードレールを、象徴派などの側面において扱うことが主なので、知識にいささか片寄りがあるように思われた。なので、ボードレールに関する研究書をいくつか繙いてみて、把握しておきたいと思ったことを書きとめておく。

 ボードレールは、1863年フィガロ」紙に発表した『現代生活の画家』と題した評論において、「モデルニテ」なる概念を提唱した。当時フランスにおけるロマン派の古典主義に対する反発として、「現代の美」なるものを訴えたのである。古代芸術を模倣するのではなく、現代生活に特有の美を発見しそれを芸術へと昇華せしめるべきという主張だ。ボードレールの言う「モデルニテ」というのは、特定の時代区分を示すのではなく、各人の置かれた時代、同時代性といった意味合いを含んでいる。よって古典の芸術家においても、その時特有の「現代性」が込められていると言えよう。

 ボードレールが文筆活動をおこなった時代は、フランス近代化の社会下にあって、我々から見た現代ではない。けれどもかような意味で、「モデルニテ」は「近代性」と訳すよりも、「現代性」と訳すのがむしろ妥当であろうと言われる。

 ボードレールは『現代生活の画家』における「現代性」の章にて次のように説明している。

「現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の半分が、永遠なもの、不易なものである。昔の画家一人一人にとって、一個ずつの現代性があったのだ。......一時的で、うつろい易く、かくも頻々と変貌をとげるこの要素を、あなた方は軽蔑する権利もなければ、これなしですます権利もない。この要素を抹殺するならば、否応なしに、たとえば、人類最初の罪以前の唯一の女性の美といったたぐいの、抽象的で捉えどころのない美の、空虚のなかへと落ちこむのほかはない。」(『現代生活の画家』、阿部良雄訳)

かように「現代性」なる概念は、この『現代生活の画家』における「現代性」に対する言及について言えば、純粋に美学の範疇にとどまるものだ。しかし美学の領域で「現代性」を追求するにおいても、時代に特有の政治だとか道徳だとかはおのずと射程に入って来るし、またそうすると時代区分的な「近代性」というのも、おのずと浮上してくる。

 はじめにボードレールによる『悪の華』が出版されたさい、非難轟々であったとの事である。その主な理由は不健全性とか病的なところだとか、とされる。かような認識は攻撃した人々に限らず、ボードレールを擁護した人々においても同様であったらしい。

 死後にボードレールの全集が出版されたさい、テオフィル・ゴーティエが全集の内一冊の『悪の華』に『ボードレール論』として序文を付している。そこではボードレールが頽廃と人工の詩人として定義されている。これによりその後のボードレール像が方向づけらる。

「『悪の華』の詩人は、人が軽率にデカダンスの文体と呼んだものを好んだ。それは、老いゆく文明の傾く太陽の光線で明確に示唆される、最後の爛熟期に達した芸術に他ならない。それは、精緻、複雑、深遠な文体で、陰翳と洗練に富み、つねに言語の限界を押し広げ、あらゆる専門用語に語彙を借り、あらゆるパレットから絵具を選び、あらゆる鍵盤から音色を採り、何よりも筆舌に尽くしがたい至高の表現に努め、何よりも茫漠として捉えがたい輪郭の形を描写し、神経を病む者の微妙な打ち明け話、落ちぶれた老人の恋の告白、狂気に近い固定観念の異様な幻影などに、とくと耳を傾けてその真実を伝達する、そんな文体だ。つまりこのデカダンスの文体とは、万事を言い尽くす使命をおびて、極度の誇張に至った『言語表現』の究極の言葉である。」(テオフィル・ゴーティエボードレール』、井村実名子訳)

 その後自然主義作家たるエミール・ゾラは、ボードレールに対し反発的態度を示した。けれども、このゾラを筆頭とする自然主義の反動としてボードレールは礼賛されるようになる。自然主義からの脱却を宣言するユイスマンスに書かれた『さかしま』におけるボードレールに関する記述が象徴的だ。

「デ・ゼッサントは、ボオドレエルを読めば読むほど、ますますこの作家に対して言うに言われぬ魅力をおぼえるのであった。詩が人間と物との外観を描くためにしかもはや役立たなくなった時代にあって、彼は筋骨たくましい肉太の言葉を用いて、表現しがたいものを表現することに成功したのである。衰頽した精神と沈鬱な魂の、最も移ろいやすく最も顫え勝ちな病的状態を、ふしぎに健康な表現法をもって的確にとらえる驚くべき技倆が、この作家には、他のいかなる作家にも増して備わっていたのである。」(ユイスマンス『さかしま』、澁澤龍彦訳)

 世紀末象徴派においては、とりわけ『悪の華』における「照応」なる詩篇が重要視される。「共感覚」を主題にしたもので、色彩ならびに視覚と、その他の感覚の対応性だとか、さらには色彩により高次な意味だとかが見いだされる。

 20世紀はじめに、とりわけ第一次世界大戦を迎え社会や文明に混乱がもたらせると、頽廃的空気はもはや許容されないところとなり、ボードレール観も変容する。ここで、本来古典主義的であったヨーロッパ芸術において、「新たなる美」、「現代の美」を追い求める姿勢の立役者として評価されるようになる。

 

参考:

阿部良雄シャルル・ボードレール:現代性の成立』、河出書房新社、1995

阿部良雄ボードレール論の系譜」──『ボードレールの世界』、青土社、1976

横張誠ボードレール語録』、岩波現代文庫、2013(「語録」と題されていますが、ボードレールの格言集みたいな感じじゃなく、ボードレールのテクストを翻訳し、それに丁寧な解説が付されたものです。上の二冊と異なり小型の文庫本なので読みやすく、入門によろしいと思います。)

 

引用:

ボードレール全集IV』阿部良雄訳、筑摩書房、1987

J. K. ユイスマンス『さかしま』澁澤龍彦訳、河出文庫、2002

テオフィル・ゴーティエボードレール』井村実名子訳、国書刊行会、2011