20世紀の傑作ポルノ文学『イギリス人』のこと

 先日、『閉ざされた城の中で語る英吉利人』(奢霸都館)が手元に届いた。幻想文学の大家として知られるフランスの作家たるアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ作。1953年初版発表。原題はL'Anglais décrit dans le château fermé。元々澁澤龍彦訳の『城の中のイギリス人』を読んでいて、自分の好きな作品であり、生田耕作訳である奢霸都館も手元に置いておきたい、と思った次第である。筋書は、閉ざされた城の内で催されるSMや獣姦というような性的饗宴、といった次第で、サドの『ソドム百二十日』を想起させるものとなっている。

 奢霸都館の装丁はやはりすばらしい。加えて、こちらにはハンス・ベルメール作の挿絵がいくつか収められている。ハンス・ベルメールは、奇抜な球体関節人形を制作し、当時シュルレアリストに好まれた人物である。澁澤龍彦によって日本にも紹介されており、最も知名度のある人形作家のひとりであろうと思う。当初、この『イギリス人』に想を得て制作されたベルメールの挿絵を付した豪華版が、フランスにて出版される予定であったとの事だ。

 本書はピエール・モリオンなる筆名ではじめ秘密出版された。ゆえに生田耕作訳のほうでは、ピエール・モリオン作、と記されている。のちに1979年の新版の発表に際し、序文でマンディアルグの作であることが明かされる。この『イギリス人』でもマンディアルグ風の幾何学だとか幻想だとかが遺憾なく発揮されているので、これ以前からマンディアルグ作との説は推測されていた。澁澤龍彦訳の『城の中のイギリス人』には、新版に付された序文が収録されていて、マンディアルグの口から語られる執筆背景等々を知ることができる。生田耕作訳のほうも、後書にてその概要がまとめられているが。

 本書は、「この書物は闘牛の一種と思っていただきたい」との興味を惹く一節に始まり、「エロスは黒い神なのです」という含蓄ある言葉によって締め括られる。この黒い神に迫るかのごとく、城内では闘牛のごとく激しい性的実験行為が繰り広げられ、その光景が崇高などと形容されている。とりわけ印象ぶかいのは、ひとつには女を水槽に沈めて蛸に襲わせる場面だ。葛飾北斎の有名な春画を連想させる。

 第二に、若い女の前で、彼女が産んだばかりの一人息子が剃刀で切り刻まれる場面が印象ぶかい。女は無理矢理目を開かされ、この解剖行為の始終を見せられるのだが、この子供を破壊したあと女を襲うと、元々冷感症だったのに牝犬みたいによがり出したという。

 かかるように、エロティシズムというのが倒錯を極めた彼岸にあって、身の破滅をともなうものであるとするならば、「エロスは黒い神」であるとするのも、むべなるかなというところであろう。

『イギリス人』と題されているが、英国との関連も関心を惹くところである。扉には、「オーブリ・ビアズレー友の会(世に知られざる)」と書かれている。『サロメ』の挿絵で知られるであろう世紀末英国の象徴的人物だ。『イギリス人』は多くをビアズレーに負うているという。背徳的なものを美的にえがいていてある種の崇高性を感じさせるところは、確かにビアズレーの観がある。

 ほか「ブレイク流」とか「スウィンバーン流」とか、「ミルトンに淵源する魔王の美しさ」といったものを念頭に執筆されたことが序文に記されている。主人公モンキュは、A. C. スウィンバーンをモデルにしているとの事である。サドやボードレールの影響下にあり、獣姦だとかSMだとか背徳的なものを扱った詩人だ。そしてこの小説は、ラファエル前派の中心的人物ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの弟であるW. M. ロセッティの『スウィンバーン論』の一節が冒頭に付されている。「洗練された苦痛に対するあの性的誘惑は、わが子を取って食う雄兎の傾向と同じく、健康な肉体の男にとって自然な誘惑である」(澁澤龍彦訳)と。要はサディズムの普遍性といったところであろう。サディズムだとかマゾヒズムだとかは、一部の異常な人間に限られた性的嗜好でなく、人類に通底するものである。ゆえにエロスは、暴力や破滅を伴う黒い神であるのであろう。

「モンキュ語録」と称されるモンキュの台詞が続けざまに紹介される場面があるのだが、この辺りはスウィンバーンが特に意識されていよう。『国王牧歌』等で知られる桂冠詩人アルフレッド・テニスンヴィクトリア女王との情事の噂について話したり、イギリス式ティーポットをまさしく張形であると言ったり、英国の悪習として人種主義を語ったり、ほか逆説的警句を発したりしている。「女の尻を追いまわす漁色家を気どって、得意然とした男は世の中に掃いて捨てるほどいますがね、そもそも追いまわすことの窮極は殺すことだという真理が、彼らのちっぽけな頭蓋のなかには一向に入りこまないのですな。」(澁澤龍彦訳)だとか、「美女の美しさなんて、いやもうまったく、はかないものですよ。黒人の腕の先の......剃刀ひとつで事足りるんだから。」(澁澤龍彦訳)とかは、心に刻みたい名言だ。

 どちらの翻訳も一読したが、やはりどちらを読んでもよろしいと思う。澁澤龍彦はサドなど、生田耕作バタイユとかピエール・ルイスとか、それこそマンディアルグとかの翻訳で知られる、いずれも高名な仏文学者だ。大きな違いとしては先に述べたとおり、澁澤龍彦訳は、マンディアルグ本人による序文があり、生田耕作訳は、奢霸都館版であればハンス・ベルメールの挿絵付である。澁澤龍彦訳の『城の中のイギリス人』であれば、今でも白水社の愛蔵版が、大きな書店や通販ならば新品で購入できるはずだ。短くて読みやすいうえ凝縮されているのでおすすめの一作である。