自分のフランス語学習のこと

 近ごろ、語学書だとか単語帳の類をつかったフランス語の勉強に精を出していた。フランス語は元々、偶に基本的な単語を含めて辞書を引きながらユイスマンスとかボードレールとか自分の好きなフランス文学を読む、といった次第であった。これはこれで、フランス語に親しむ方法のひとつではあるのであろうが、勉強らしい勉強はしていなかった。

 はじめに着手したのは『はじめるフランス語―はじめての人から学びなおしの人まで』。よくあるフランス語の入門書である。二、三日で通読できたし基本的な文法項目は網羅していたので良い本だと思う。が、条件法だとか代名動詞だとかの理屈は把握できても、肝心の活用は一向に覚えられない。とはいえ運用しつつ自然と定着させればよろしかろう、と思い次に進む。また、会話や作文は出来ずとも読解さえ出来れば良かったので、名詞の性別は全く覚えなくてよいと気づいた。

『ゼロからスタートフランス語単語BASIC1400』をやった。最初の方の最頻出語句は解説も充実していて例文も豊富だったので、惚れこんで購入したのだが、後半は解説も例文もなくなっていた。結局、中途半端に覚えたままの状態で放棄。この本で得られた最大の教訓は、内容を一通りよく確認したうえで買ったほうがよい、というものである。何より、単語の大群が無味乾燥に羅列された紙と延々にらめっこするというのは性に合わない。苦行である。大学入試のころに単語帳を結局一冊たりとも覚えられなかったのが思い出される。

 その次に取り組んだ『中級者のためのフランス語語彙力アップ1500題』は、例文の豊富さと接頭辞だとか接尾辞だとかの観点から選択した。単語は入門と幾分乖離があったので、例文は辞書を片手にひたすら多読した。これによりある程度の力は着いたと思う。が、これもやはり途中で挫折した。理由として主に、例文が退屈だったのと、取り扱われる単語が自分の求めるような、文学だとか論文だとかで扱われる方面でなかったのがひとつ挙げられる。自分の覚えたい単語と方向性が合致しているか、というのも、一定以上の水準となると確認が必要である。

 最後に手を出したのが、『やさしい仏文解釈』(大学書林)だった。仏文和訳が出来るようになることを自分の目標としていたからである。この本はやがて自分にとってフランス語学習書の聖典となる。1ヶ月で4度ほど読み直した。まえがきによると、フランス語学習を開始して3ヶ月から6ヶ月の人間を読者として想定しているらしかったので、始めて1ヶ月の自分には恰好の本であるように思われた。というのも、自分は1ヶ月で他人の6ヶ月分に相当する勉強をしたという自負があったからである。

『やさしい仏文解釈』は薄い本で、文法項目のもと分類された5章38節から構成されており、各節にはフランス語の短文とその訳が一文と、大体1ページに収まるほどの文量であるフランス語の長文基本的にひとつとその訳文が含まれている。扱われる長文が、シラノ・ド・ベルシュラックだとかアンドレ・ジッドだとかジャン・ジャック・ルソーだとかいうような、名高い文学者によるものでおもしろい読物、というのも好ましかった。何より読んでいて全く苦ではない、むしろ楽しい。文法は難なく定着していたのだが単語はまったく頓珍漢であったので、語注が付されているにもかかわらず辞書を片手に読み進めた。決して自分にとって「易し」くはなかったが、大いに力となったのは疑いの余地が無い。活用は覚えていないなりに文脈などから推測していたので、活用表を参照する習慣がなく、ゆえに曖昧なままなのだが、翻って言えば推測できるのならそれで構わないかとも思った。

 思うに、自分にはいささか古典的な形式が性に合っているのであろう。文構造を解析したり文法に則り訳出したりといった読解は好きだ。また近ごろ出版されている、実用性重視で分かりやすさのみを追求した無味乾燥な書籍は肌に合わなかった。

 学習の順序としては、中級単語は不要で、「文法入門書→単語入門書→やさしい仏文解釈」でよかったと考える。しかし単語入門書を一通り覚えても、『やさしい仏文解釈』では見られない単語が頻発することが予想される。自分のように「単語帳を眺めるのが苦痛ゆえに文章を読むなかで自ずと覚える」流派の人間でないならば、入門と中級の間に位置する初級の単語帳を覚えた上で臨めばよいであろうと思う。

 この後は『新しい仏文解釈法』をやるつもりだ。『やさしい仏文解釈』の延長であると捉えていたが、短文が多く、ボリュームが増している。価格が高騰していたが、何とか手元に用意することができた。小説などなら、高価なものは図書館などから借りてどうしても欲しい場合のみ購入すればよいが、語学書であれば基本的に手元に置きたいのが難しいところだ。

 また最近ラテン語の勉強も始めた。ペトロニウス辺りのラテン文学にいささかの関心があるからだ。久々に、フランス語も含め、文法書の類を繙いて言語を学ぶ楽しさを実感している。この手の勉強を楽しんでいた中高時代の英語学習が懐かしく思われた。